「一人」は好きだが「ぼっち」は嫌い
予想できる、タイトルを見た人の反応は2通り。
Aパターン:「はいはい、分かるわ~」。
Bパターン:「いや、言ってること矛盾してね!?」。
選んだパターンから分かる、僕との相性!
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Aパターンを選んだあなた・・・
相性100%!!
まじで気が合う!!
いつかお話ししたいです!!
(やっぱり人見知りなので、最後のはナシで)
Bパターンを選んだあなた・・・
ごめんなさい。今日の最下位はあなた…。
でも大丈夫!今日のラッキーアイテムは・・・(女子アナ風)
…
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小ボケにお付き合いいただき、ありがとうございました…。m(__)m
ということで、今回は「一人」と「ぼっち」の違いをお話ししたいと思います。
あくまで、個人の意見として見ていただければ幸いです。
まず、「一人」と「ぼっち」の個人的な解釈を簡単にお伝えすると、
「一人」は「個人」。
「ぼっち」は「孤独」。
もう少し詳しく書かせてもらいますね。
「一人」というのは、「集団でない」、すなわち「個人」ということ。
一方、「ぼっち」は「ひとり『ぼっち』」、つまり「孤独」ということ。
文章にしようとするとなかなか難しいですね。
伝わっていますか?
ちなみに、僕は「一人」も「ぼっち」も経験しています。
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<「一人」の体験談>
僕は、一人でいることが大好きで、学校の休み時間でも一人でいることが多いし、買い物に行くときもほとんど一人。旅行も一人で行きます。
ただ、この「一人」というのは、「集団」や「仲間」があることで、その対照的なものとして存在します。
実際、僕にも大切な友達が数人います。
人見知りな僕が気を許すことのできる、数少ない仲間。
僕は基本的に一人でいますが、やはり一人だけでは生きていけないのが人生。
たまには、その友達に会いたくなったり、頼りたくなったりするものです。
だから、僕は大事な友達がいるからこそ「一人」でいられると思っています。
そんな「一人」が僕は大好き。
<「ぼっち」の体験談>
散々書いていますが、僕の性格は「人見知り」。
だから初対面の人と話すことはとても緊張するし、その時間は地獄のように感じてしまう。
そのせいで、高校に入学してから数カ月、地獄を見ることとなってしまった。
高校の入学式当日。
この学校でどんな3年間を過ごすことになるのかと期待を胸に、入学者受付を済ませ、クラス発表の大きな紙の前に立った。
自分のクラスを見ると、同じ中学の友達数人は皆バラバラ。
まあ、クラス数を多いことだし、大体想定できていたので特に何とも思わなかった。
いざ、自分のクラスに入ると、全体の1割ほどの人たちは初対面にもかかわらず積極的に話をしていたが、残りの9割は受付でもらった資料に一人で目を向けていた。
「よかった。周りに友達がいない人、いっぱいいるじゃん!」と僕は安心した。
だが、これが大誤算となる。
周りに自分と同じ状況の人がたくさんいることを口実に、自分からクラスメートに話しかけることを怠ってしまっていた。
入学式から1週間後、僕はようやくクラスで孤立していることに気付いた。
昼休み、弁当は一人で食べるものだと思っていたが、気づけば、一人で食べているのは僕を含め2~3人になっていた。
ここで焦って、友達をつくろうとすればよいのだが、突然キャラを変えるのは僕のプライドが許さなかった。
その後の数か月間、そのつまらんプライドのせいで、クラスから孤立し、正真正銘の「ぼっち」になってしまった。
(※ぼっちから抜け出すことが出来たきっかけはまた後日…)
この「ぼっち期間」は、学校に行くのが本当に苦しくなり、毎朝のように母と、行く・行かないで喧嘩。
学校に行っても何もかもか楽しく感じなくなってしまい、軽いうつ状態になってしまった。
ここで初めて気づく。
「一人」=「ぼっち」じゃない。
「ぼっち」は辛いものなのかもしれない。
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このような経験から、自分の中で「一人」と「ぼっち」の解釈の違いが生まれました。
また、今でも「一人」は楽しいものだと感じていますが、「ぼっち」はどうしても暗い・悲しいイメージを持ってしまいます。
「ぼっち」を経験した僕だからこそ思うこと。
それは、友達はかけがえのない存在であるということ。
大事な大切な友達がいるからこそ、僕は「一人」でいられるのだと思います。
僕は決して友達が多いタイプの人間ではありませんが、
僕には「皆に自慢できる・人間性の素晴らしい・信頼できる友達がいる」ということは自信を持って言えます。
だからこそ、僕は一生、「狭く深い人間関係」を築いていきたい。
そのように思います。
周りの人に感謝し、
今日も僕は「一人」を楽しむ。